平明で重いものを 金子兜太

平明で重いものを 金子兜太

 十一月の例会で『風の夜明け玄関にいる赤い靴』という作品が、いちばん評判がよかったと聞いた。たまたまほかに旅行していたので、その会だけ欠席したわけだが、それをきいて、なんとなく困った気がした。評判がよかったとはいっても、ただ、点がいちばんはいったということで、あとの批評はまあまあ程度らしかった。
 それでなんとなく安心した。そのころ出た海程四十七号の座談会をみていたら、終りのほうで、山下淳の発言を受けて、長友巌が『作品を読んで平明さということは軽さということにも通じるような欠陥を持っていると思うから、云々』と言っているのにぶつかって、なるほどと思った。長友のような若い作り手がこういう意見をもっていることが頼母しかったのである。そして同時に、東京例会のその作品を思いくらべてみた。
 まさに平明さと軽さの同居である。軽さといっても、この作品の場合、軽っぽさ、軽薄さというものではない。真面目で実直である。だからかえって読むほうは困るのだ。よくわかる。気持よい。夜明け、風、赤い靴――印象明瞭であって、さわやかである。しかしそれ以上になにがある。あるのは、夜明けと赤い靴のあいだに勘ぐられる思想らしきものだが、あまりに常識的にすぎて、勘ぐるだけでも恥かしくなるようなしろものである。けっきょく、なにもないと言ったほうがよい。
 その、なにもない、ということが軽さである。ところが、いや、ある。お前がいま、気持よいとか、さわやかとか言ったことが内容であって、それだけの情感を読者に喚起できれば十分ではないか――という反論がでることが予想される。それでは、それは、なにあることになるのだろうか。
 ところで、私は、現代俳句が展開しつつある〈ムードの表現〉に興味をもっている。ムードというあいまいな言葉で私が受けとっているものは、以下のような内容である。
 抒情というとき、私は二つの意味を考え、そのどちらかで使っていることは、しばしば述べてきた。一つは、〈詩の本質は抒情である〉という意味での抒情であり、いま一つは、〈情感の表現〉という程度の意味でのそれである。前者を第一の抒情、後者を第二の抒情として区別しているわけだが、第一の抒情は、くだいて言えば〈存在感の純粋衝動〉ということである。萩原朔太郎の『情動』にちかい。第二の方は、それに直結している場合もあるが、もっと日常化された情感(現象的な情感)である場合もある。一般に抒情というとき、第二の内容で考えられていることが多いと思う。いわゆるリリシズムであり、叙事に対しての抒情という受けとりかたである。
 ところが、その第二の抒情を、さらに二つに分けて考えたほうがよいと私は考えている。つまり、抒情とムードという分けかたをここでやっておきたいのである。そして、抒情というほうには、単純化していえば、〈思念〉あるいは〈想い〉が、その情感表現の底にこめられているのである。存在感といっても、それへの思念がはたらいていなければいけない。思念付き存在感、である。私はよく心情という言葉を使うが、まさに抒情の内容は心情というべきものだ。これを、〈志〉という人もいる。志に支えられた情感である。たとえば、原子公平の好きなヴァレリーの詩句がある。『風立ちぬいざ生きめやも』。
 これに対してムードというのは、思念抜き、想い抜き、志抜きの情感を言う。むしろ――ここが大事だが――そういうものを抜くことを意図したところで表現がおこなわれることである。生枠という言葉が許されるなら、生粋の情感と言ってもよいが、どうもしっくしない。要するに、想や念や志のような思索的な世界にまぎれない、いわば肉体反応的な情感の動きである。これを、皮膚感覚的、粘膜感覚的というひともいる。
 森田緑郎が私の句集を解説したなかで、私の作品の基本には『よく見ている』眼のはたらきがあるが、これからの作者たちには、『よく感じる』ことも基本になるのではないか、と比喩的に書いていたことがある。森田がばくぜんと考えていることは分る。それは見るという行為そのものにすでに感じられる濁り――つまり、見るということには、かならず何等かの意思が介入してきわしまいかということ、それによる濁り――に対して、意思のはたらきを拒絶したところでおこなわれる生粋の感性の行為、その意味での純粋感応に信頼をおくということであろう。鋭敏な戦後世代が存在の根本から問いなおそうとするすがたであると思うが、はたして、その感応、生粋なりや、と問うとき、その保証はどこにもない。ただ、既成の一切を振り払ってはだかで、ということになれば、まず思念の名で押しつぶされがちな感性を復権させるしかないのである。現に、わが国では、思想といえば感覚と反対質のように受けとられてしまう偏狭と性急さがある。私もそれにはウンザリしてきたし、いまでもしている。森田たちの志向も、その範囲で分るのである。
 九月隆世は手紙のなかにこう書いていた。『僕の作品は感覚的です。感じなくなったら僕は俳句をやめます。そんなことにならないように自分の感性を育ててゆきたい。一生美しく感じてゆきたい。』と。森田の論を支えるものも、こういう素朴な確信につうずるものであろう。そして、

  悲鳴に似し魚を吊りあげ揺れる男 森田緑郎

  抱きたい夜樹かげは美しい火柱 九月隆世

のような作品を作るのである。森田のほうは、感じつつ、それが存在の奇怪さの知覚にまで浸みてゆく。九月のほうは詠唱となって、存在の皮膚をくすぐる。思念にいたるまえ、しかも思念の翳を潔癖に避けている状態で。
 私には、ほんとうには、この意味でのムードの表現はわかっていないのかもしれない。私は思念や志を、ある種の昆虫のように忘れることのできない男である。その意味で、抒情に傾き、惚れる。しかし、繰りかえすようだが、思念や志や想いを拒絶したところに形成しようとする感性の世界が、まったく分らないということはない。それが示す、得もいえない巧妙な現実感(存在感といえるふかさのものも多い)には、思わずひきこまれることがある。
 海程は、このムードの表現に成果を示しはじめ、すでに幾年かたっている。この成果は、現代俳句の一つの、しかし、大きな成果であると思う。ただここで、どうしても注意しておかなければならないことがある。それを抜きにしては、成果などとはとてもいえないからだ。
 それは、私が海程三十五号に、阿部完市の

  少年来る無心に充分に刺すために

を鑑賞し、かつ称揚したとき、これが『私に存在感への縦走を感じさせる』とし、その理由として次のように書いたことにかかわる。『先日、ル・クレジオという小説家が「物質的恍惚」と名づけているものが「頭をゴムのようにして子宮の粘膜にくっつけていたときの接触がもたらす快感」だと知ったが、この俳句の芯にある魅力も、そんなところにあるのではないかということである。』と。
 つまり、感性の純粋反応という場合、それはいつも、この『物質的恍惚』とつうつうで受けとられていなければダメだということなのである。この恍惚を知ることは、〈感性の肉質〉を知ることであり、これによって、思念や観念というもので荒されていた言葉の肉質(自然の質と私はいう)を回復させることなのである。感性にそっくり傾くということは、この肉質への接近抜きには意味をなさないし、そこから、存在への浸透を可能にしなければならない。感性希求――つまり志抜きの情感追求とは、そういうものでなければ意味はない。そうでなければ、文字どおりのムードに終ってしまう。純粋に感じたと思ったものが皮膚だけにすぎなかったり、存在と思ったものが風俗にすぎなかったりすることにもなる。
 冒頭にあげた赤い靴の作品に、この物質的があるだろうか。ないのである。それらしいものはあるが、本当にはない。その証拠に言葉がどれも独自の光沢を持たないで、類型の衣服をまとってゴロゴロしているにすぎないではないか。阿部の近作に、

  病院で絹を燃やしてくるしみ居り

というのがあるが、この、まるで感じばかりのものが、奇妙な肉質をもっていて、その肉質は阿部という人間の存在のなかに育っているものであることを知る。しかも、現代人の存在感一般につうじる幻妙さをもっている。
 同じようなことが前掲の森田の作品にもいえるし、淡いかたちで九月にもいえるわけだわけだが、たとえば、

  雑木山ひとつてのひらの天邪鬼 金子皆子

  ウサギ飼い身に清潔な水たまる 佃 悦夫

のような作品にもいえる。
 ここまできて誰でも気づくことは、ムード表現がじつは個の志を、思念をもっているという事実である。思念や志を拒絶するところに腰を据えながら、じつは、そのこと自体が、一個の思念や志を追求することであった、ということである。その思念するものは存在である。そして、存在そのものの感得から、その認識へとつづいてゆくものである。
 いまあげた作品の作り手たちは、その一部にすぎないが、成功作の作者には、その自覚がはっきりとみえる。阿部は日本の神々の記録を意識して読み、

  あおあおとムササビが翔ぶ脳中に

の作者・穴井太は『民話的な精神と手法を得たい』と念願している。森田は、現代の地中にまっすぐ急降下したらしい。戦中世代からの連脈のなかに自分の存在を見定めようとする酒井弘司がいる。彼等はさまざまなルートをえらび、手法を用い、そして勉強しながら、しかし、探ろうとするものは、現代のただなかにある。おのれの存在であり、それをとおしての人間そのものの存在についての認識である。私はいつもそう思っている。そして、そういう思念のはっきりした作者のものに『物質的恍惚』と、それにつつまれた存在感のおとずれを見、そのときもはや、ムード表現などと言ってはおられないものを覚えるのである。
 しかも、そうした意味でのムード表現は、俳句と短歌の、この二つの短い定型詩形によって、よりよく定着させることができるもののようにも思う。自由詩では甘く流れかねない。散文で書くこともむろんできるが、書きにくいことは事実である。寸鉄の力は、なかなか得られまい。それらのことを噛みしめながら、村上一郎が吉本隆明を論じたなかで書いた次の言葉を受けとっておきたい。
 『ふたたびいうが、人間の志というものをはなれて、抒情をいい、人間の皮膚感覚や粘膜感覚に人間の魂魄一切を解消せしめてキラキラとバタくさくて、いなかくさい詩をつくってゆくことは、糞土の垣を築くに等しい。それはもう詩とさえいえるかどうか。小説亦然り。』
 皮膚感覚でもよい。しかし、『人間の魂魄一切を解消』してしまうような結果になるものはダメだと私はいいかえたい。村上も私と同じように、志を据え、抒情を語る仲間だが、私が、ひとたびはその志を拒絶するムード表現を認めるのに対して、彼は認めないのだろう。しかし、志の拒絶が、けっして人間の魂魄一切の解消どころか、むしろその逆であること――そのための手段であることを知れば、彼は認めるかもしれない。
 問題の分れ目はそこにある。たんなるムードにとどまっているかぎり、それはダメなのである。十一月例会最高点の作は、その意味で困るのである。ムード表現の本当の意味を、このへんでじっくり探るときではないかと思う。そして、ノッペラボウのムードでなく、そこに存在の地軸がのぞき、意識の白波がひらめくものを――かのこうろこうろと泡立ちさわぐものを書きとめるべきではないか。
 長友巌ではないが、平明なものは、その泡立ちが定型のなかで煮つめられたときの澄みであり、それはけっして軽いものではないはずであった。(四九号)
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『定型の詩法』金子兜太/海程社1970/P379
『海のみちのり 三十周年・評論集成』/海程会1992/P9
初出:『海程』49号

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